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【カンヌライオンズ2025レポート】ビジョン×リレーションシップ:カンヌライオンズ2025・PR部門から読み解く3つのキーワード(前編)

株式会社井之上パブリックリレーションズと株式会社日本パブリックリレーションズ研究所は2025年7月8日(火)に「カンヌライオンズ2025」現地参加報告会を開催し、当日はオフライン・オンラインあわせて80名以上が参加しました。

当日にお話しした内容を中心に、当日登壇した日本パブリックリレーションズ研究所副社長の横田によるカンヌライオンズ2025レポートを、前後編の2本立てで公開します。

【カンヌライオンズ2025レポート】ビジョン × リレーションシップ:カンヌライオンズ2025・PR部門から読み解く3つのキーワード(前編)

 [横田 和明、株式会社日本パブリックリレーションズ研究所 取締役副社長/早稲田大学 大学院経営管理研究科 非常勤講師]

カンヌライオンズとは

2025年6月17日より、南仏カンヌにおいて、国際的なクリエイティブフェスティバルであるカンヌライオンズ2025(正式名称は、Cannes Lions International Festival of Creativity)が開催されました。総参加者数は97か国から12,000人に及びます。本フェスティバルで2009年から設置されているPR部門のアワード「PR LIONS」には、1,531件の応募があり、ショートリスト141件から、グランプリ、ゴールド、シルバー、ブロンズで計44件が受賞しました。今回は、カンヌライオンズに現地で4回目の参加となる筆者より、入賞作品をピックアップしてレポートします。

なお、本記事で「パブリック・リレーションズ(PR)」と表記する場合、PRとは「個人や組織体が最短距離で目標や目的を達成する『倫理観』に支えられた『双方向コミュニケーション』と『自己修正』をベースとしたリレーションズ(関係構築)活動であり、様々なステークホルダーとの関係性管理」の考え方を意味します。また、本記事は7月8日に井之上パブリックリレーションズグループで開催した『CANNES LIONS 2025 報告会』に登壇した株式会社井之上パブリックリレーションズ執行役員 髙野祐樹と筆者の解説に概ね準じます。


今年のPR部門グランプリは、インド鉄道の1200億円無賃乗車を解決するアナログ施策

今年の栄えあるグランプリは、Indian Railways(インド鉄道)の「Lucky Yatra」です。
150年の歴史を持つインド鉄道。毎年87億人の乗客のうち、41%が無賃乗車で、年間8億2000万ドルの損失が生じています。
同社は、抜き打ちチェックと罰則で対応しましたが、状況は改善せず、深刻な財務問題を抱えていました。一方、インドでは日々の幸運を大切にする文化的な背景から、宝くじ市場が年間330億ドルであり、また成長基調にありました。経営の安定化と鉄道システムの維持発展のため、インド鉄道は、紙の切符に印字されている識別番号を宝くじの番号として扱うことで、切符を宝くじとして活用するためのシステムを導入しました。

駅のアナウンスや案内、ラジオ、広告など様々なコミュニケーションチャネルを通じて、認知を拡大した結果、140万ドルの投資に対して、6億8500万ドルの収益を上げ、投資対効果490倍という成果を生みました。ITが盛んなイメージのインドですが、アナログな紙の切符での取り組みで、AIやモバイルアプリなどを使わずに実現させた点は興味深いです。文字通りフリーライダーが当たり前の価値観に対して、行動経済学におけるナッジの好事例と言えます。

PR観点では、インドらしい壮大な社会課題のもと、大規模鉄道会社と1日2400万人の乗客という巨大なステークホルダー間のリレーションシップ・マネジメントです。評価のポイントを現地で審査員に直接ヒアリングしたところ、「切符を宝くじとして機能させるためには、数か月、場合によっては複数年かけて政府機関などと折衝するガバメント・リレーションズをはじめ、様々なステークホルダーとの細やかな関係構築が不可欠であり、それがあってはじめて実現できる事案である」と話していました。

関係性という観点では、「無賃乗車が当たり前」と「日々の幸運が大切」という価値観や、鉄道と宝くじという2つの市場を繋ぎ、枠組みを変える構図にも注目したいです。この価値観には、「文化的な背景(Cultural Context)」というものがあり、本年のPR LIONSでは、審査団がこれを今年のキーワードの一つとして挙げています。

 
続いて、PR LIONS ゴールド受賞エントリーから5件の事例を紹介します。 (※本記事では、うち4件を紹介)
コモディティ化した金融商材に本質的な一手で世論喚起とカスタマー・リレーションズ ー 欧州の育休住宅ローンとDV対策保険事例

フィンランド最大手の銀行であるNordeaは、北欧の価値観を重んじ、より持続可能で、平等で、イノベーティブな社会実現にコミットすることを標榜する金融機関です。そのNordeaが、新たに提供する育児休暇住宅ローンが「THE PARENTAL LEAVE MORTGAGE」です。

フィンランドでは、160日間の育児休暇が付与されるものの、男性の取得率はわずか12%に留まります。これは、主に以下の2つの理由によります。①育児休暇期間中の給与が全額支給されず、②EU内で最大の男女間の賃金格差と住宅ローン費用の負担感が強く、家計維持のためには働き続けないといけないためです。これにより、伝統的なジェンダーロールの強化や、女性のキャリア形成上の負担、父親の早期育児参加機会の阻害を引き起こしていました。

そこでNordeaは、「男性の育休取得を阻む住宅ローン負担」という課題解決のため、育児休暇中は支払いを一時停止できる住宅ローン商品を開発。フィンランドの有力紙から戦略的に情報を公開し、初日から全国的な注目を集め、主要メディアでの報道掲載、政治家や育児団体からの発信に繋がりました。その結果、発表初週に1万世帯から問い合わせがあり、家計において平均月460ユーロの節約に貢献しました。Nordeaの企業評価が向上したほか、育休取得に関して社会的な対話へと発展しました。

Nordea | Parental Leave Mortgage(外部ページ:ページ内に動画あり)

 

同じく金融機関の事例として、フランスの大手保険会社AXAの家庭内DV対策「Three Words」があります。

同国では、生涯で5人に1人の女性が家庭内暴力を経験し、緊急避難先の施設や支援が不足している状況にあります。一方で、AXAは、10年にわたり家庭内暴力と闘うことにコミットし、女性被害者や子供たちを無料で支援する法務部門を設置していました。

このような背景から、AXAは家庭内暴力を単なる個人的な悲劇ではなく、システム的なリスクと捉え、火災同様、加入必須の住宅保険でカバーする対象として、社会に問いかけを行い、実際の保険商品として提供を開始しました。「and domestic violence」という3語(Three Words)を追加する条項を導入し、すべての契約に遡及適用されたことで、121人が支援を受け、住宅保険契約数は1か月で9%増加しました。全国メディアでも特集され、AXAのブランドの検討度は67%(業界平均43%)、86%が本取り組みを業界標準にすべきと回答するなど、保険業界の在り方と社会的議論を起こしました。

住宅保険や住宅ローンは経済発展を遂げた国ではコモディティ化が進んでいる商品であり、極端な差別化やカスタマーエンゲージメント向上が難しい商材ではないでしょうか。しかしながら、両社は企業理念に基づき、既存の金融商品に、シンプルかつクリティカルな要素を少し加えることで、社会に新たな価値提案を行っています。その結果、新規顧客の獲得とともに、企業評価を向上させ、社会課題の喚起に繋げています。本事例は、一過性のキャンペーンではなく、事業に紐づいた継続性のある取り組みです。理念に基づいたビジネスモデルのリデザインで、カスタマーをはじめ、社会の様々なステークホルダーとの関係性を高めています。素朴ながら、見事な一手と言えます。

デジタルテクノロジーによる新たな関係性

英大手通信会社であるO2の「DAISY VS SCAMMERS(詐欺師)」は、英国で深刻化する電話詐欺問題にAIおばあちゃんで対抗するケースです。生成AIとSNSでも支持を集める文化的トレンド「Scambaiting(詐欺師の時間を意図的に浪費させる行為)」を電話詐欺問題と融合させています。

2024年、英国人の70%が電話詐欺の標的となり、O2は詐欺集団がその名を騙るため、多大なブランド棄損を受けていました。一方で、顧客の不安感は増大していました。従来の詐欺啓発と顧客による自衛では限界がある中、O2は、詐欺師の貴重なリソースである「時間」を奪うおしゃべりが好きなAIおばあちゃん「Daisy」を投入しました。

詐欺対策エキスパートと連携しながら開発したリアルな音声認識と応答モデルを用いて、最大で40分間もの間、詐欺師を通話に繋ぎ止め、彼らの時間を奪うことに成功しています。一連の展開がSNSで拡散され、報道は2,000件以上に及びました。その結果、詐欺報告件数が44%増加し、啓発とともに、数千件の詐欺を未然に防ぎ、英国国民の年間300万ポンド相当の損失を防止しました。また、フェイクを用いたAI施策ながら、ポジティブな反応で、O2のブランド評価の向上に寄与しています。

詐欺師への対応をポストして拡散するScambaitingというSNS文化をAIを用いたシステムに応用する点がユニークですが、関係性の構図としても興味深いです。アナログな電話詐欺集団による悪意を持ったフェイクと、デジタルなAIによる架空の善のフェイクが対峙する対比構造になっています。AIおばあちゃんと詐欺集団がフェイクとフェイクをぶつけ合う様をファクトとして、社会に提示することで、電話詐欺への社会的警鐘を鳴らし、詐欺発生の機会を減らすことに繋がりました。同時にO2の評価向上を実現しています。ステークホルダーとの関係性だけでなく、虚実・有無・善悪といった概念が複雑に織りなすなんとも玄妙な構図です。

デジタルを交えた関係性の変化という点からは、SupercellによるClash of Clans「Haaland Payback Time」も興味深い事例です。

モバイルゲームの先駆けである「Clash of Clans(クラッシュ・オブ・クラン)」は、競合がひしめくレッドオーシャン市場で、新規ユーザー獲得と既存プレイヤーの維持を目的に、サッカーのノルウェー代表で圧倒的な強さを誇るアーリング・ハーランド選手と連携したキャンペーン「Payback Time」(スラングで「仕返し」の意味)を実施。ハーランド選手を同ゲームで初めて実在の人物として登場させ、彼の村を襲撃できるイベントを展開しました。彼のファンだけでなくアンチも巻き込んで、スポーツとゲーム両方のファンコミュニティに話題を提供しました。

サッカーシーズン中に、①アンチが敏感に反応する敵地にビルボードを設置、②ハーランド選手の活躍に合わせたリアルタイム広告、③ハーランド選手が破った記録を持つライバルスポーツ選手とのコラボレーションでソーシャルコンテンツを展開するなど、複数チャネルを活用しました。サッカーではリベンジできない鬱憤をゲームで晴らせることもあって、3,490万人が参加し、280万超の初週ダウンロードを記録し、新規プレイヤー獲得は150%増加しました。認知度14%、推薦度15%をそれぞれ向上し、同タイトルにおいて過去最大級の成果を挙げました。

パブリック・リレーションズの観点からは、以下の点が興味深いです。
①ハーランド氏に関して、サッカー選手としての側面だけではなく、Clash of Clansのヘビーユーザーとしてのペルソナを発見

②通常はインフルエンサー起用で主にファン層にアプローチするところ、サッカーのコンテキスト上存在するアンチまで取り込む

③選手からゲーマーにペルソナをスイッチしたハーランド選手を介して、現実世界のサッカー文脈のファンとアンチが、ゲームという仮想世界の文脈でプレーヤーに転換され、結果として、Clash of Clansの新たなカスタマーとして関係性を構築

メタバースなどデジタル空間がさらに広がることに鑑みると、現実世界の関係性をデジタル空間で再構築し、ノンカスタマーを巻き込むユニークなPR戦略を展開している事例と言えます。


 

後編につづきます。

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